経営課題を「数式」に翻訳するデータサイエンティストー専門知識の深化と新たな価値創造

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呉東文
データサイエンティスト ▼詳細

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田中 雄登
dip people 編集長 ▼詳細

ディップ株式会社では、多様なバックグラウンドを持つ社員がそれぞれの専門性を武器に活躍しています。データサイエンティストの呉 東文(ご とうぶん)さんもその一人です 。大学院では国際政治学を専攻しながら計量経済学の知見を深め、ディップへ入社 。データサイエンティストとして組織の立ち上げから関わり、現在はチームリーダーとして活躍しています。ベイズ統計学とミクロ経済理論を融合させた高度な分析で、経営課題の解決に挑む彼のキャリアと、データサイエンティストとして独自の価値を追求する仕事の面白さに迫ります 。

日本への興味から計量経済学の道へ。自らの提案で、仕事と組織を切り拓く

田中:まず日本に来られたきっかけと、データサイエンスの道に進まれた経緯からお聞かせください。

呉:学部時代に交換留学生として来日したのが最初のきっかけです。実際に暮らしてみて「ここ最高だな」と感じましたし、特に一橋大学の学術環境が自分に合っていると感じたため、大学院に進学して知識を深めたいと思いました。専門は国際政治学でしたが、留学中に出会った先輩や先生のアドバイスもあり、データを用いて物事を判断する力に価値があると感じ、計量経済学の勉強にのめり込んでいきました。

田中:そこからディップのデータサイエンティストというキャリアには、どのように繋がっていったのでしょうか?

呉:就職活動中にディップを知り、面接で「営業の課題をデータサイエンスの力で解明する」というテーマに強く惹かれました。例えば、営業担当者のどのような行動が売上につながるのか、という問いを、大学院で学ん計量経済学の「インパルス応答関数」のような手法で分析できるのではないかと直感し、「ここだ」と確信したんです。

田中:入社後はどのようなお仕事からスタートされたのですか?

呉:入社当時は、まだデータサイエンス組織の立ち上げ期で、データが十分に整備されていない状態でした。そのため、最初の1年間は、統計モデルを組むというより、SQLを使ってデータを整備・抽出する作業が中心でした。まさに、分析をするための環境づくりからのスタートでしたね。そこから、徐々に自分の専門性を発揮するようになりました。例えば、「マーケティング分野でこんな分析ができそうです」と自ら上司に提案し、実行させてもらう。そうして小さな成果をコツコツと積み重ねていくことで、データサイエンスの価値を少しずつ社内に示していきました。

「ハードスキルこそ価値の源泉」理論と現場を想像力で結びつける

田中:これまでの仕事で、特に印象的だったプロジェクトについて教えてください。

呉:人材紹介事業でキャリアアドバイザーが利用する「案件検索モデル」の開発です。これは、求職者様の経歴や希望と最もマッチする求人を、トピックモデルという技術を使って抽出する仕組みです。このモデルによって、経験の浅いキャリアアドバイザーでも効率的に質の高い提案ができるようになり、結果として求職者様にとっても、より早く理想の仕事に出会えるという価値を提供できました。

田中:開発において、特に難しかった点は何ですか?

呉:データサイエンティストとしてのスキルセットにはなかった、ソフトウェアエンジニアリングの知識が必要だった点です。このモデルは多数のキャリアアドバイザーが同時に利用するため、負荷に耐えられるような設計や、アクセスを分散させる仕組みなどを考慮する必要がありました。エンジニアチームに教えを請いながら自分でも勉強して知識を身につけていきました。

田中:大学院での学びは、どのように活かされていますか?

呉:正直に言うと、大学院で学んだ知識をそのままの形で転用できることはほとんどありません。しかし、因果推論の考え方や、統計モデルのパラメータをどう解釈するかといった、計量経済学の基礎的な知識や「物の見方」は、現在の仕事の根幹を成しています。企業では「こういう風にモデルを改修してほしい」といった要望が無限に来ます。その要望に応えるために、論文を読んだり、実践を繰り返したりする中で、専門性がより強化されていきました。

「経営課題を数式に翻訳する」ベイズ機械学習とミクロ経済理論の融合

田中:現在は「ベイズ統計学とミクロ経済理論の融合」という、さらに高度なテーマに取り組んでいらっしゃると伺いました。具体的にどのようなことをされているのでしょうか?

呉:営業活動や経営リソースの投入が売上に与える影響を可視化・予測する取り組みを行っています。特に、コブ=ダグラス型の生産関数にガウス過程を組み合わせた一般化線形モデルを用い、月次・年次の周期性や短期・長期のトレンドを分離しながら、経営判断に有用な構造的インサイトを提供しています。このアプローチにより、単なる精度の高い予測にとどまらず、経営にとって直感的かつ説明可能なモデル設計を実現しています。

田中:そのアプローチの面白さや、一般的なブラックボックスモデルとの違い、優位性について詳しくお聞かせいただけますか?

呉:ビジネスサイドの感覚と予測が異なる場合に、そのズレの理由をベイズ統計の枠組みでモデルに組み込むことで、より精度の高い答えを構造的に解明できるのが、このアプローチの強みということですね。一方でXGBoostのようなブラックボックスモデルでは、例えば「広告費や人員の増減が売上にどう影響するか」といった経営にとって本質的な問いへの答えを可視化することが難しい側面もあります。もちろん、XGBoostでも変数の重要度を示すことはできますが、コブ=ダグラス型のモデルでは、「限界効果は常に正でありながらも逓減していく」という、経営陣にとっても直感的に理解しやすい構造でモデルを設計できます。

田中:「限界効果は常に正でありながらも逓減していく」というのはどういうことですか?

呉:「限界効果は常に正」というのは「何かを追加すれば、生産量は必ず増える」 という意味です。ディップでいえば「営業担当の社員数を増やせば売上は必ず増える」というとわかりやすいでしょうか。「逓減していく」というのは「追加したときの伸び幅は、だんだん小さくなっていく」ということです。「コブ=ダグラス型モデル」が示す「やればやるだけ成果は出るけど、だんだん効率は落ちてくるよね」という構造は、実際のビジネスの現場感覚に非常に近いものです。

経営者は日々「新しい人材を採用すれば売上は伸びるだろう。でも、今の倍の人数を雇っても、売上がきっちり倍になるわけではないな」「広告宣伝費を増やせば商品の認知度や売上は増加するだろう。でも、徐々にクリック単価が上がって費用対効果が落ちてくるはず」などと考えていますよね。このモデルは、そうした現場の肌感覚をシンプルな数式で表現してくれるため、経営者が「あと何人採用するのが最適か?」「広告宣伝費はどこにどれだけ使うのが効果的か?」といった意思決定をする際に、非常に納得感があり、使いやすいツールとなるのです。

田中:確かに、経営層が意思決定を行う上で、結果の解釈性が高いことは非常に重要ですよね。ブラックボックスモデルが、例えば人員を増やしたら売上が下がるといった、直感に反する学習結果を出すこともあるというお話がありましたが、具体的にどのようなリスクがあるのでしょうか?

呉:例えば、XGBoostでは人員を増やすと売上が上がったり下がったりするような学習結果が出ることもありますが、これは経営現場では説明しにくく、意思決定をサポートするには適しません。さらに、ブラックボックスモデルは過学習に陥るリスクがあり、「〇〇県で広告をどれだけ打っても売上は伸びません」といった、明らかに不適切で誤った示唆を与えてしまうことさえあります。一方、コブ=ダグラス型の構造を採用することで、売上の上限をモデルが勝手に設定することを避けることができます。私たちは、経営の意思決定に役立つデータ分析を行いながらも、精度だけでなく解釈性と説明可能性を重視しています。

「経営の第一想起へ」データサイエンスを誰もが使える武器に

田中:経営の第一想起として意思決定に貢献するために、データサイエンティストとして必要なことは何でしょうか?

呉:それは「知識の暴力」とも言える、ハードスキルだと考えています。経営課題を理解している人は社内に何十人もいます。しかし、その課題を解決するための最適な数理モデルを即座に設計できるのは、統計学や経済学の深い知識を持つ専門家だけです。もちろん、その専門知識と現場の課題を結びつける「想像力」というソフトスキルも不可欠です。しかし、それは強固な専門知識という「橋」があって初めて意味を成します。両方のスキルを高いレベルで追求し続けることが、データサイエンティストとしての価値を高めるのだと思います。

田中:モデルの設計・構築に加えて、ビジネスサイドとのコミュニケーションも非常に重要だということですね。

呉:まさにその通りで、複雑な統計的知見を営業チームや経営層と共有・解釈する橋渡し役も担っています。データから得られる示唆を現場と経営戦略に落とし込むことで、会社全体の意思決定の質を高め、事業の持続的な成長に貢献しています。私自身もこのプロジェクトを通じて、単に「正確なモデルを作る」だけでなく、その価値を経営と共有し、現場で活かすことの重要性を実感しました。データサイエンティストの役割は、ビジネスとデータの「橋渡し役」として、価値創造に貢献することだと再認識しています。

田中:最後に、今後の展望についてお聞かせください。

呉:社内では、データサイエンスの力で経営や現場の課題に真正面から向き合い、最初に相談される存在となるチームを目指しています。特に、ミクロ経済理論とベイズ機械学習を統合することで、精度と解釈性の両立を追求し、経営の意思決定に資する構造的なインサイトを提供し続けたいと考えています。またリーダーとして、メンバーのアイデアを実践的なプロジェクトへと導き、技術面・理論面の双方からサポートしながら成長を後押しすることを大切にしています。将来的には、経営層とより強固な連携を築き、データサイエンスのインパクトを全社規模に拡大し、経営判断を真にデータドリブンなものへと進化させることを目指しています。

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呉東文

データサイエンティスト 一橋大学大学院修了。学生時代は国際政治学と計量政治学を学ぶ。社内のデータを計量政治学・計量経済学の観点から分析し、意思決定に新しい示唆を提供する。最近は主にバイトルのサイトデータ分析と営業活動のモデリングを担当。

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田中 雄登

dip people 編集長 2021年 新卒(既卒)入社。1年目から人事として新卒採用に携わりながら、会社横断プロジェクトを推進するなど組織の枠を超えて活躍。大学時代は約30ヵ国を渡り歩きながら国際法や政治学を学び、NPO/NGOや政府機関でのインターンに従事。現在はプロダクト開発組織で、DevRelの立ち上げに奮闘中。エスニックな体験と牛乳が好き。
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